1・17 に思うこと、、。

あれから、、もう14年が経ちましたね。あの時、あの一瞬、、。

色々な思いをみなさんお持ちでしょうね。 私は、、やっぱり、人のことではなくて、自分の周囲に起こったことしか頭を廻らないのです。
グルグル回っているのは私の周囲に起こったこと、、ショックだったこと、、。
本当申し訳ないけれど、TVや新聞で特集を「しているのを見ているのに、私は自分のことしか回っていません。

でも、悲しい体験をした人々もおんなじですね。「そのことを忘れない」と。

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私はあの時、起きていました。息子が大学受験の為のセンターテスト1/15、16の受験後、当日学校へ行って答え合わせをする為に登校する為、私はあの直前には、もう、ご飯と味噌汁と出し巻き卵を作って、息子がお風呂の後の食事する為にちょうど狭い台所から出て、食卓のセッティングをした後でした。

  前夜、娘の成人式のお祝いと息子のセンターテストが終ったお祝いの食事会を、一日遅れにした為に、眠くて、ボーッと外を見ていました。

その直前、隣の部屋の和室のタンスが「カタカタ・・」と音をかすかにたてました。外に閃光が走った直後、「ガンガンガンガン・ド~~ン!!!!!」・・・・・「ガチャガチャ・ド~~ン」・・・・・私は瞬間に立っていた足をすくわれ、ベンジャミンの大きな植木に私を覆いかぶさり、大きなものが私にぶつかってきました。・・・・・・・・・・・・・・・何が起こったのか、、、パニックになった私は夫に「これって何なん?」・・・夫は「地震だよ!大丈夫かぁ!!!」

・・この一瞬、この大きなマンションが前に倒れて「これが死ぬ瞬間なんかなぁ」と冷静な自分の姿がありました。・・・・・その後、私は子供たちの名前を叫びつつ、リビングまで来るように叫び続けておりました。・・・・来ない子供たちを案じて子供部屋まで暗がりに行くと、息子は「パンツがない!」と言うんです。・・・・・風呂上りでバスタオルだけを腰に巻いて、部屋でヘヤードライヤーを使っていたのです。前日、下着をベッドの足元に置いてやったことを思い出し、出してやり、手探りでスリッパを探して、手渡しで渡しました。娘も何とか出てきて・・・・・・・・

リビングに4人が集まりました。・・・非難用にと南の戸も開けました。開き難くなった玄関のドアも夫が足でドーンを蹴って開けました。寒さなんか感じていませんでした。お風呂場にあったラジオを聴きながら、高台にある我が家から神戸の街を見渡しました。・・・・いつもなら電気でキラキラ輝いているはずの街が真っ暗です。風がないのかあちこちで煙が何本も立っていました。

・・・・・・・・・・・夫はそれを見て「大変なことになった。死者がたくさん出ているはずだ。死者は5000人は下らない大地震だよ」と。・・・私は「縁起でもないことを言わないでよ!!ラジオは神戸のこと、何にも言っていないよ!それより豊岡が震度5と言っているから、ここより大きな揺れなんだから和田山の家はとっくに潰れているね」と言えば急に心配になって、電話のところに手探りで探しても、電話が見つからず、ようやく見つかって、、「あぁ、、停電してるからこの電話は使えない・・」・・・・・・・・それが地震の10分間の我が家の出来事でした。

スタジオは壊滅状態でした。食器や鍋、釜はもちろんのことオーブンも冷蔵庫もガスレンジもオーディオも壊れました。・・多くの死者、けが人が出た震災の中「私の仕事場が何にもなくなった」とは言えませんでした。

・・・・・生徒さんの安否をたずねて便りを出させていただきました。テント生活、避難所生活を余儀なくされている方々のところをお見舞いに回りました。

・・・・心の中では落ち込んでいたんですが、もっともっと大変な方々が多いのだから自分のことは顔に出さないようにしていたのですが、、不安でいっぱいでした。

そんな時、Iクラスの阪本さん、古賀さん、井上さん、、、と、生徒さんが水を持って、おやつを持って、お弁当を持って、新しい食器を持って。スタジオの掃除を手伝いに来てくださいました。それを聞きつけた他の生徒さんのグループも手伝いに来てくださいました。食器が次々に届き始めました。

・・・・・・「今の生活が悲惨だから仮住まいだから先生、これまでとおんなじスタイルで教室を早く再開してくださいよ!」と励ましの言葉をいただき、形を整え、4月からはじめることにしました。・・・・テント生活されているAさんは「駅のコインロッカーに被災者ファッションを置き、先生の教室に来るために洋服もパンプスとイヤリングも買いました。お化粧もしました。はやくこれまでのこんな自分を取り戻す為に、続けてくださいね」と、、。


ショックだったあの震災、、そして、一つ、一つ何とかクリアして今日があることに「感謝」&「合掌」でしょうか。


5:46に、毎年のように黙祷をしました。
今日を、あの時、あの頃の事を思い出して欲しいです。そして、これからの災害に備えることも考えませんか。